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情報の波に溺れないために。デザイナーがSNSをやめて気づいたこと

  • 執筆者の写真: Aya
    Aya
  • 5月25日
  • 読了時間: 10分

更新日:5月26日

水中の泡の中で目を閉じて浮かぶ富士山キャラクターのイラスト。右側には『情報の波に溺れないために。デザイナーがSNSをやめて気づいたこと』という白い文字が配置されている。右下に“LITTLE FUJI DESIGN STUDIO”のロゴ。

フォロワー1000人超のX(旧Twitter)をやめたきっかけ


最近、X(旧Twitter)をすっぱりやめました。

これを機に、SNSをやめて気づいたことや気持ちの変化、フリーランスのデザイナーという立場から考えたメディアとの付き合い方を改めて考えてみました。


やめる直前のフォロワー数は1,000人ほど、Xを通じて知り合った友達や良き先輩、フリーランス仲間もいましたが、思い切ってアカウントごと削除。


一時期は暇さえあればタイムラインを更新して、常にTwitterを見たりつぶやいたりしていたほとのめり込んでいたのですが、イーロンマスクが就任してXに変わってからは、いわゆるインプレゾンビと呼ばれるインプレッション稼ぎの胡散臭いアカウントで溢れ、薄っぺらい返信や的を得ない不自然に翻訳されたAI生成のコメントばかりが沸き、必要な情報が見つかりづらくなりました。



スマートフォンを操作する手元のイラスト。画面の上にはメッセージ通知、いいね、コメント、料理の画像、ユーザーアイコンなど、SNSの通知アイコンが浮かんでいる。

また、ChatGPTなど一般人でも気軽に使える世の中になり、AI生成された画像や動画をよく目にするようになったことで、AIとの距離感の近さに危機感を感じたというのもSNSをやめたきっかけの一つです。


自分が過去に投稿した作品や、今後投稿する作品が、勝手にAI学習に使われることは、クリエイターやデザイナーにとって耐えがたいものです。


AIと著作権の関係はまだまだ不透明な部分が多いのに、AIの成長があまりにも早すぎて、クリエイターや著作権を守る法律が追い付いておらず、暴走している恐怖さえ感じます。


私自身も文章の推敲にChatGPTを使ったり、Photoshopの背景透過機能などAIを仕事で使う機会もありますので、完全に否定するわけではありません。


ただし、0から丸投げでAIに生成させることは避けたり、情報源を複数の異なる媒体で調べて、自分の判断で信ぴょう性があると判断するようにしたりと、「AIと上手く付き合う」方法を模索しています。


そんなAIを使って生成されたコンテンツがSNSにも溢れ、嘘か本当か見分けのつきづらいものから、信ぴょう性を疑う怪しい情報に沢山の人が影響さるようになってきました。


調べもせずに見たままの情報を信じ込み、意味のない争いや言い合いをする姿を傍からみて、ようやくどれほど自分の時間をSNSに消費して無駄に過ごしていたかを理解したのです。



SNSがクリエイターにもたらす「消耗」とは


SNSはデザイナーやクリエイターにとって強力なマーケティングツールであるということは理解しています。


特に私のようなスモールビジネス、個人事業主や制作物ありきのデザイナーという職業柄、多くの人に自分のビジネスや成果物(アウトプット)を知ってもらうには、SNSの活用が不可欠です。



スマートフォンの画面から磁石が伸び、ハートや“いいね”マークなどのSNSリアクションを引き寄せている様子を描いたイラスト。


しかし、SNSでは他の人の投稿が嫌でも目に付きます。


他のアーティストやクリエイターの作品を見て、インスピレーションや刺激をもらうことはよくありますが、どうしても自分と比べてしまうのです。


他人と自分の境界線があいまいに交じり合い、

  • 「どうして同じクリエイターなのにこの人はこんなにも絵が上手いんだろう、すごいものを作れるんだろう」

  • 「この人は毎週のようにハイレベルな作品を作り投稿し続けているのに、自分はアイデア1つ絞り出すのにも時間がかかって、枯渇していて苦しい」


というネガティブな感情が沸き出てくることは、珍しくありません。


その人の歩んできた人生、見てきたものや価値観、努力してきた時間といった「背景」は誰一人として決して同じものではなく、これっぽっちも知らないのに


いつの間にか自分と同じ目線で見たり、勝手に比較しているのです。




フリーランスのデザイナーが考える、オウンドメディアを持つメリット


そんな精神状態だとどんどん自信を無くし、作品を作る手も止まってしまうので、他の人の作品や声があふれるSNSプラットフォームではなく、この記事のようなブログを書くようになりました。


このブログは私が運営しているLITTLE FUJIのWEBサイト上にあるコンテンツなので、自分の手に収まる範囲での小さな場所ではありますが、オウンドメディアとして居心地の良い空間です。これはSNSをやめた今だからこそ、改めて強く感じています。


他の人の投稿はなく、自分が書きたいときに書きたいものを書けばいいし、フォロワー数などを気にする必要もありません。


今このブログ記事を読んでいるあなたのように、WEB検索などでふらっと立ち寄ってくれた人や、LITTLE FUJI、あるいはAyaka Fujiという「私」個人になんとなく興味があって訪れた人だけが見ています。そのくらいが、ちょうどいいのです。



緑の平原と青い山々を背景に、キャラクター化された富士山とキウイバードが並んで立っている。“LITTLE FUJI DESIGN STUDIO”のロゴが上部に表示されている。

クローズドな環境だからこそ感じられる、身近さを味わえるのは、個人ブログならではの醍醐味であると思います。


広告費で生計を立てているブロガーさんや、広告収入目的でブログ・オウンドメディアを運営している人は、記事の途中や端に広告が張られていますが、ものすごく見にくいし目障りなので、個人的にはそういうメディアは避けています。


(とはいっても、最近はニュースでさえ有料会員でないと記事全文が読めなかったり、広告がベタベタ張られているメディアが多いですが…。)


特に日本のブログだと、アメブロやライブドアブログは広告だらけであまりにも読みづらいと感じるのは私だけでしょうか…?"(-""-)"


ブログでは、「その人の経験」を知りたいのに、広告収入やステマ目的の記事ばかりでうんんざりすることが最近増えました。

明らかにChatGPTを使って書かれたんだろうな、という記事も即ページを閉じてしまいます。笑


なお、このLITTLE FUJIのブログはWix Studioで作成されていますが、私が有料プランを更新し続ける限りは、広告が一切表示されないはずです。



動画コンテンツのメリットとデメリット


最近はYouTubeやTikTokなどの動画コンテンツが人気ですよね。


私自身もYouTubeはほぼ毎日見るし、仕事中もラジオ感覚で聞いたり、あるいは新しいスキルの勉強のためにチュートリアル動画を見ることも多々あります。


ただ、なんでもかんでも動画にする、というのはあまり賛同できません。


よく仕事で「サービス紹介動画を作りたい」というご相談や、実際の紹介動画を見かける機会もありますが、多くの場合は「それって1枚のドキュメントでまとめられる情報だよね?」というものばかりだと感じるのが正直なところです。


動画の場合、最初から最後まで見ないと全容がつかめません。


また、よくある構成として「こんなお悩みありませんか?」「○〇で解決!」「〇〇の特徴3つ」という流れで、最後に再度商品のロゴを入れる、という1分程度の紹介動画がありますが、そういった紹介動画を最初から最後まできっちり見ている人はほとんどいないのではないでしょうか。


動画コンテンツの制作は、紙や資料作成と比べて費用面でのコストもかかるし、時間もかかります。

たった1分の動画・アニメーション制作でも、その何十倍も時間がかかることがしばしばです。

ただし、1分という再生時間の枠があるので、肝心の部分は「それっぽい」簡略化されたイラストやアイコンで見せるだけになったり、実際のプロダクトの様子がほとんどイメージできず、紹介動画と実際の製品との乖離が起きることも少なくありません。


それなら1枚のドキュメントにわかりやすく文書化するか、数枚の資料にした方が機能的だと思うのです。



男性の手が赤いフォルダーを持っており、中から文書が一枚はみ出しているイラスト。

資料ならキーワード検索もできるし、「価格表をもう一度みたい」というような時は、そのページを開くことで「必要な情報を必要なだけ」取得しやすいコンテンツです。


動画にもタイムスタンプ機能などがありますが、多くの場合はオンラインでネット回線につながっていないと動画が見れなかったり、社内で他の人に情報を共有するときに「この動画の1分30秒あたりを見て下さい」というのは非現実的であり、PDFあるいはパワポ、Wordなどの書面で共有する方がビジネスシーンにおいても一般的です。



動画コンテンツのメリット


ただし、動画にしたほうがわかりやすいコンテンツもあります。実際の製品の使い方説明や、プロダクトのデモといったケースです。


これは資料内の文章や静止画で説明しようとすると、1画面ごとに画像をスクショして貼り付けたり、クリックするとこの画面になります、というような説明を都度記載するのはかなり手間がかかります。ページ数が増えると、受け手側のストレスもぐんと上がります。


こういった場合は実際の画面を開き、クリックやページ遷移など録画したものを見せながら説明した方が手っ取り早いのです。


ツールやソフトの使い方など、チュートリアル動画や動画ベースの講座が多いのは、動画で伝える方が効果的だからです。




情報があふれる今の時代だからこそ、本を読む


しかし、そういった動画コンテンツばかり見ていると、文字を読む機会が少なくなってきます。


動画コンテンツの場合、テロップや字幕がなくても、音声と映像で多くの情報を一気に得ることができます。


飽きてくれば早送りしたり、再生時間をすっとばして見ることもできます。(私は学生の時にほとんどの授業が動画を見て自分で進めていく形式の塾に通っていましたが、あまりにもつまらなくて、早々に退会しました。(-_-;))


そういった二倍速や「1分でわかる!〇〇」のような動画コンテンツばかりを受動的に見て、活字を読まなくなると、自分が集中できる時間がどんどん短くなってきます。


ショート動画やTikTokが若者の間で人気なのは、集中力がそれだけ短い時間しか保てないからです。「Tiktok脳」という言葉でさえあるようです。


困ったような表情を浮かべた脳のキャラクターのイラスト。左上にはぐるぐるとした渦巻きが描かれており、混乱やストレスを表現している。“LITTLE FUJI DESIGN STUDIO”のロゴ入り。

集中力がなく、受動的なコンテンツばかり見ていると、文字だけの本を読むということがとてもハードルが高くなります。


本は多くの場合、文字だけがそこにある情報であり、挿絵がたまにあるかもしれませんが、そこにある言葉から自分の頭の中で補完し、想像する必要があります。


大人になってからも読めない漢字に出会うことがたまにあります。そんな時は、単語を調べて、そこで新しい言葉を知るのです。


本を読み切った人だけが、自分なりの解釈をし、思考を深めていきます。


読書は文字情報という受動的な情報もありますが、自分の頭の中で考える能動的な部分の方が圧倒的に多いと思います。


そうした読書を通じて培った想像力や思考力が、自分自身の価値観を築き上げていくのです。


何百年も前からこの本というコンテンツは多くの人の間で愛され、手に渡り、時には歴史を変えるような価値ある情報として語り継がれ、先人たちの言葉が現代にも生き続けているのは、それなりの理由があるからとも言えるでしょう。



こども時代から大人になった今までに、私が読んできた本


今思えば、小学生の頃から、私は本を読むことが好きでした。


マジックツリーハウスシリーズアニモーフ黒魔女さんが通る!シリーズといったファンタジーあるいはSFものをはじめ、狐笛のかなた獣の奏者といった上橋菜穂子さんの児童文学、ミシェル ペイヴァー著書のクロニクル千古の闇シリーズ、挿絵の酒井駒子さんの印象的な絵に魅了されました。



カラフルな本の山のそばで、一冊の本を開いてじっと見つめるキウイのキャラクター。右下には“LITTLE FUJI DESIGN STUDIO”のロゴ。

高校生あるいは社会人になると、貴志祐介さんの『青の炎』、道尾秀介さんの『向日葵の咲かない夏』といったミステリー小説にはまっていきました。


ここ数年のお気に入りはフランスの作家・ピエールルメートル氏の犯罪小説、『邪悪なる大蛇』『その女アレックス』や、ファンタジー・和風ホラーの作品を多く執筆されている恒川光太郎さんの『秋の牢獄』、『スタープレイヤー』、『箱庭の巡礼者たち』など、この2名の作家のほぼ全ての本を読破しています。



デザイナーがSNSをやめて気づいたこと


こうして読んできた物語は、私のデザイナー、あるいはクリエイターとしてのキャリアにも、普段の考え方や価値観に大きく影響しています。


文字という情報だけを頼りに、自分だけが見える世界に淡々と潜っていくような感覚です。


水中に沈んでいる泡の中で、目を閉じて静かに浮かぶ富士山のキャラクターイラスト。背景には水面と気泡、下部には“LITTLE FUJI DESIGN STUDIO”のロゴがある。

それは私の解釈であり、自分の想像でしかありませんが、本を読むほどに自分自身の中に深く潜り込むことで、自分自身を知っていくのです。


それは誰にも邪魔のされない、干渉も受けない、自分だけの世界です。


私にとって本を読むという行為は、静かに自分を取り戻す時間でもあります。


SNSをやめた代わりに、今後はもっと本を読んで、デザイナーとしての自分の創造性(クリエイティブ)や感性を磨いていければと思います。





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